大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和33年(ナ)2号 判決

原告 山本啓次郎

被告 大阪府選挙管理委員会

主文

原告を請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「昭和三三年三月九日施行せられた茨木市議会議員選挙に於ける当選の効力に関する藤村新次郎の訴願に対し被告が同年七月十日なした、

同年四月一九日茨木市選挙管理委員会がなした決定を取消す、右選挙における当選人山本啓次郎の当選は無効とする。

との裁決を取消す、訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、

その請求の原因として

一、原告は昭和三三年三月九日施行せられた茨木市議会議員の一般選挙に立候補し、五三〇票の得票で最下位当選人となり、訴外候補者藤村新次郎は五二九票の得票で最上位落選者となつたところ、右当選の効力に関し、同人から茨木市選挙管理委員会に異議申立をなし、同年四月一九日異議申立棄却の決定を受け、さらに被告委員会に訴願した結果、被告は原告の有効投票として処理せられている投票中

(イ)、(山ケ )なる記載の一票は(   -)の記載が公職選挙法(以下単に法と称する)第六八条第五号の他事記載に該当する無効投票であり、

(ロ)、「山下」なる記載の一票は本件選挙における候補者山下弘の有効投票である、

から原告の得票から二票を減じるべきものとし、

一方前記藤村新次郎の得票については、

(ハ)、同人の有効投票として処理せられた投票のうち「フジイ」なる記載の一票は本件選挙の候補者藤井種三郎の有効投票であり、

(ニ)、各候補者の何人を記載したか確定しがたい無効投票として処理せられた投票中「藤井新次郎」なる記載の一票は右藤村新次郎の有効投票である、

として、結局原告の得票は五二八票、右藤村新次郎の得票は五二九票であるとの理由で同年七月十日「茨木市選挙管理委員会のなした決定を取消す、右選挙における当選人山本啓次郎の当選は無効とする」旨の裁決をなし、該裁決は同年七月一日発行の大阪府公報号外第二八号をもつて告示せられた。

二、然しながら右裁決は次の理由により不当である。

第一、「山ケ」は原告の通名であつて、このことは選挙公報にも山本啓次郎(山ケ)として登載公表せられているところであるから、前記(山ケ )なる記載の一票は右公報をそのままに記載したものと認められ原告に対する投票であることは明白であつて、従来候補者の姓名に「  」を附した投票が有効と認められている以上()を附した記載を他事記載と認めるのは不当である。のみならず本件(山ケ )なる記載は原告の通称「山ケ」が往々「山ケン」と呼ばれているところから投票者は山ケンと記載する考であつたのがンの字が拙劣で  -)と記載せられたものとも認められこれを他事記載といい得ない。

第二、原告の有効投票中に「山下」なる記載の一票が混入している筈はない。けだし開票に際しては管理者はじめ多数の立会人が厳重に注目監視しているのであるから明白に「山下」と記載した一票が原告の得票として処理せられる余地はない筈であつて、若しかかる誤があつたとすれば「山ケ」と記載した投票の「ケ」の字が拙劣のため「下」と誤認せられたものか、そうでなければ候補者山下弘の有効投票中に「山ケ」なる記載の一票が処理せられた際「山下」なる一票が原告の得票として混入したものに外ならない。

第三、被告は無効投票として処理せられた「藤井新次郎」なる一票を藤村新次郎の有効投票と認めたが、右は候補者藤井種三郎の有効投票と認めるべきか、若くは無効投票と認めるべきである。蓋し他人の姓名を表示する場合はまず姓をもつて個人を特定し、次に名をもつてこれを特定するもので、姓が主となり名は之に附従するのが経験則上明らかである。殊に本件選挙における候補者藤井種三郎は前議員で議員の藤井としてその姓は広く選挙民に知られているに反し、候補者藤村新次郎はいわゆる新人でその姓名は広く知られていないのであるから、候補者藤井種三郎に投票しようとする者が同人の名を誤つて新次郎と記載したため「藤井新次郎」なる投票となつたものと認めるのが相当で右投票は候補者藤井種三郎の有効投票であり、少なくも右記載は候補者藤井種三郎の姓と候補者藤村新次郎の名とを混記し、そのいずれに投票せられたか判然し得ないものとして無効投票となすべきであつて、到底藤村新次郎に対する有効投票と認めることができない。

第三、候補者藤井新次郎の有効投票として処理せられた投票中「藤井新二郎」なる記載の一票は候補者藤井種三郎の有効投票と認めるべきである。

「藤井新二郎」なる記載は前記「藤井新次郎」なる記載とは異なり特に姓の右側にフジイと記載して更に一層藤井候補に投票する意思を表明しているものであるから、これを候補者藤井種三郎の有効投票と認めるべきは当然であり、仮りに百歩を譲り両候補者の姓と名(新二郎は新次郎の誤記として)とを混記したものとしても少なくも無効投票と認めるべきである。

第四、前同様藤村新次郎の有効投票として処理せられた投票中に「藤林」なる記載の投票は二票あるが、右投票は無効投票とすべきものである。本件選挙の候補者中姓に「藤」の字のつく者は藤井種三郎と藤村新次郎の両名のみで藤林なる姓の候補者はなく、「藤林」なる記載は「藤井」にも「藤村」にも同程度に類似しないし、又「藤林」の「林」の字が往々「」と書かれ「井」の字と紛わしいところから「藤井」を「藤」――「藤林」と思い違いしたとも考えられ、又「村」を「林」と誤記したとも見られ、結局いずれとも判定し難いものであるから右の投票は無効投票となすべきものである。

以上の次第であるから、被告委員会が原告の得票数より二票減じたのは何等理由がないのみならず、候補者藤村新次郎の得票と認めたもののうち叙上の四票は同候補者の得票とは認め得ないのであるから結局原告の当選は動かすことができないものである。

よつてここに被告のなした右裁決の取消を求めるため本訴に及んだと陳述した。(証拠省略)

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、原告の請求原因として主張する一、の事実、並びに二、の事実中選挙公報に原告の姓名を山本啓次郎(山ケ)と記載していること、本件選挙の候補者中に藤林なる者がなかつたことは争わないがその他の主張事実は争う。

(一)、原告の通称が「山ケ」であつて、本件投票中(山ケ )なる記載が選挙公報に記載せられた山本啓次郎(山ケ)をそのまま転記したものとしても、(山ケ  -)の記載全部をもつて原告の通称を記載したものと認め得ないし、( )の記載が運筆上無意識に記載したものとも認められないのであるから、右記載は原告の通称山ケを故意に(  -)で囲んだものであることは明らかで( )の記載は即ち法第六八条第五号にいう他事記載に該当し右投票は無効である。けだし他事記載の投票を無効とするのは記載自体によつてその投票を特徴づけ以て投票秘密制の本質に反するからであつて、前記法条但書によつて許された範囲以外のものは凡て無効の投票と解すべきである。

(二)、原告主張の如く「山ケ」の「ケ」を拙劣に記載したため「下」の字と誤認せられるような投票はなく、これを候補者山下弘の有効投票に算入したような事実はない。

(三)、他人の姓名を表示する場合先ず姓によつてその人を特定し次に名によつてその人を特定するというような経験則はない。従つて本件「藤井新次郎」なる記載の投票は先ず姓によつて候補者「藤井種三郎」に対する投票と認めるべきものとの原告主張は不当である。

むしろ我々の経験則からいえば姓と名が一体として個人を識別するのが普通であるから、藤井種三郎と藤村新次郎の両候補者がある本件選挙において「藤井新次郎」なる記載の投票は氏名全体から判断して藤村新次郎に対する投票と認めるのが相当である。

(四)、候補者藤村新次郎の有効投票として処理せられた「藤井新二郎」なる記載の投票も前項に述べるところと同一の理由によりこれを藤村新次郎に対する投票と認めるべきである。

(五)、更に原告主張の「藤林」なる記載の投票は「村」の字の偏と旁を逆に書いたものであつて藤村の誤記と認めるのが相当で、右投票は候補者藤村新次郎に対する投票であることは明瞭である。

(六)、のみならず本訴は藤村新次郎の訴願に対する裁決の取消を求める訴であるから、その審理の範囲は右裁決の理由中原告に関する部分に限定せらるべきものであつて、原告主張の二の第三及び第四の点は本件裁決の理由中で問題となつていない事項である。然るに原告は不確実な事実を主張し、藤村新次郎の投票の検証を求めた結果発見せられた事実に基ずいてかかる主張をするのは右藤村新次郎の参加しない本訴においては甚しく衡平を失し、その主張は許し得ないものである。

以上、被告のなした裁決には何等の瑕疵がないから原告の本訴請求は失当であると陳述した。(立証省略)

理由

原告が昭和三三年三月九日施行せられた茨木市議会議員の一般選挙に立候補し、得票数五三〇票で最下位当選人となり、候補者藤村新次郎は五二九票の得票で最上位落選者となつたところ、右藤村新次郎は当選の効力に関する異議申立をなし、茨木市選挙管理委員会は同年四月一九日異議申立を棄却したので同訴外人は更に被告委員会に訴願した結果、被告は審理の上原告の有効投票と処理せられた投票中

(一)、(山ケ)なる記載の一票は他事記載の投票で法第六八条第五号により無効投票であり、

(二)、「山下」なる記載の一票は候補者山下弘の有効投票であるとして原告の得票数から二票を減じ、一方右藤村新次郎の分については、

(イ)、有効投票として処理せられた投票中「フジイ」なる記載の一票は候補者藤井種三郎の有効投票であり、

(ロ)、無効投票として処理せられた投票中「藤井新次郎」なる記載の一票は候補者藤村新次郎の有効投票と認めるべきものとして、右藤村新次郎の得票に増減各一票とし、その結果原告の得票は五二八票、藤村新次郎の得票は五二九票と認め、同年七月一〇日「四月一九日茨木市選挙管理委員会のなした決定を取消す、右選挙における当選人山本啓次郎の当選を無効とする」旨の裁決を為し、該裁決は同日公示せられた事実は当事者間に争のないところであつて、右原告の有効投票として処理せられた投票中に(山ケ  -)と記載せられたものが一票あり、候補者藤村新次郎の有効投票として処理せられた投票中に「フジイ」と記載せられたもの一票あり、又無効投票として処理せられた投票中に「藤井新次郎」と記載せられた一票のある事実は弁論の全趣旨に徴し当事者間に争のないところと認められるが、更に検証(一、二回)の結果によると、原告の有効投票として処理せられた投票中に「山下」と記載したものが一票あり、候補者藤村新次郎の有効投票として処理せられた投票中に「藤井新二郎」と記載せられた投票一票、「藤」と記載し藤林と読み得られる投票二票あることが明らかである。原告は候補者山下弘の有効投票として処理せられた投票中に原告えの投票と認めるべきものがあると主張するがかかる投票のないことは検証(一回)の結果明白である。而して本件選挙の候補者中に山下弘、藤井種三郎の両名があることは争のないところであるから、前示「山下」なる投票は右山下弘の有効投票、「フジイ」なる投票は藤井種三郎の有効投票と認めるべきで、原告及び藤村新次郎の各得票よりそれぞれ一票宛減じなければならない筋合であることは明瞭である。

よつて進んで本件主要な争点である前記(山ケ  -)「藤井新次郎」、「藤井新二郎」、「藤」なる各記載の投票の効力について考える。

(一)、(山ケ  -)なる記載の一票、

原告が通称「山ケ」と呼ばれていることは成立に争のない甲第二乃至第四号証証人若宮惣次郎の証言等によつて認め得られるから前記投票は原告の通名を記載し、これを(  -)で囲つたものと認められる。原告はその通称が往々「山ケン」と呼ばれるところから「山ケン」の「ン」の字が拙劣のため  -)と記載せられたものと主張するが検証(一回)の結果によると単に(山ケ)と書くところを)の書き損じから(山ケ  -)と記載せられたものと認めるのが相当である。而して公職の選挙に際り候補者の通名を記載した投票は法第六八条第五号の「敬称の類」に該当し、その有効なことは論のないところであるが、候補者の通名に( )を附加し、これを( )で囲んで記載することは前記法条の認めない他事記載であつてその投票は無効というべきである。(候補者の氏名又は通名を「 」で囲むことも同様である)。従つて本件において仮りに原告主張の如く選挙公報その他の選挙用文書に山本啓次郎(山ケ)と記載せられていたため投票者がこれをそのまま転記して(山ケ)と記載したものと推認し得られるとしても右投票が他事記載の無効投票であるということに消長をきたすものではない。

(二)、「藤井新次郎」なる記載の一票

右投票はその記載自体によると本件選挙の候補者藤井種三郎の姓と候補者藤村新次郎の名とを混記したものである。多数の候補者中以通つた姓名の候補者がある場合、一候補者の姓と他の候補者の名とが混記せられることは往々あることで、かかる場合その投票を常に候補者の何人に投票せられたか確認しがたいものとして無効投票と認めることは選挙事務を簡明にし、争訟を少なくする効果はあらうが、反面無効投票を多くし、ひいては選挙に対する民衆の関心と意欲とを稀薄ならしめる重大な結果を招来するから、かかる投票も能う限り投票者の意思を合理的に推測した上何れかの候補者に対する有効投票となすべきものというのが相当であるところ、原告は先ず姓によつて個人を特定し、次いで名によつて個人を特定するのが我々の経験則であるから本件「藤井新次郎」なる投票は先ず姓により候補者藤井種三郎の有効投票と認むべきものと主張するが、原告主張のような一般的経験則があるわけではない。又原告は候補者藤井種三郎は前議員で一般に藤井議員として知られているに反し候補者藤村新次郎は新人で余り知られていないと主張し、証人北川安一、若宮惣次郎の証言によると候補者藤井種三郎は前茨木市会議員であつた関係から候補者藤村新次郎に比しより多く市民に知られていたであらうことは推認し得られるが、単にかようなことから本件投票を藤井種三郎に対する投票と認めることはできない。却つて右両候補者の姓が比較的類似性の強いに反し名の類似性が比較的弱い点から見て、本件「藤井新次郎」なる投票はその姓名全体からみれば「藤井種三郎」よりもはるかに「藤村新次郎」に類似して居り、投票者は藤村新次郎に投票する意思でたまたまその姓の藤村を藤井と書き誤つたものと観るのが最も合理的である。従つて右投票を無効投票として処理したのが誤りで、被告がこれを候補者藤村新次郎の有効投票としたのは正当である。

(三)、「藤井新二郎」なる記載の一票

此の一票はこれを読むときは前記「藤井新次郎」なる一票と同じく「ふじいしんじろう」と発音せられるが、その記載は大いに異なつている。名の新二郎が新次郎の誤記と認め得られるにしても、姓の右側にわざわざフジイと振仮名を附しているところからみれば、投票者が候補者藤村新次郎に投票する意思でその姓を誤記したものと認め去ることはできないし、検証(二回)の結果により明らかなようにその筆跡の通常以上の健筆なことから考えて、或は投票者においては候補者藤井種三郎に投票する意思で藤井新二郎と記載したが、その名に自信のないところから「フジイ」と振り仮名を附したものでないかとの難も生じるが、さればとて右「フジイ」の振仮名がこれを候補者藤井種三郎えの投票と断じ得るほど決定的なものともいい得ないので結局右投票は候補者の何人に投票せられたか確認し得ない無効の投票というのが相当である。従つて前掲「藤井新次郎」なる一票が候補者藤村新次郎の有効投票と認めたことから直ちに本件「藤井新二郎」なる一票をも同候補者の有効投票と認めた被告の裁決は失当である。

(四)、「藤」なる記載の二票

本件選挙の候補者中に藤の字のつく者は藤井種三郎と藤村新次郎の両名で藤林なる姓の候補者のないことは原告の自認するところであり、「村」と「林」とが極めて類似していることから考えて右「藤」なる記載は「藤村」の誤記と認めるのが自然であつて、林の字が草書体で往々と書かれるところから「」と「井」の類似に及び右「藤林」なる記載を候補者藤井種三郎えの投票と認めるべきものとする原告の主張は到底首肯することができない。

ところで被告は本件訴訟は当選の効力に関する訴願裁決の取消を求める訴であるから、その審理の範囲は裁判の理由中本件原告に関係ある部分に限られるべきものであつて、前記(三)及び(四)の点は本件裁決の理由中何等問題となつていないところであり、原告が本訴において検証の結果現われた事実に基いて主張するものであるからかかる主張は許さるべきでないと抗争するが、異議訴願の手続を経た当選訴訟においてもその審理の範囲を単に訴願裁決の理由中に問題とせられた点のみに限定すべき理由はない。けだし地方公共団体の議会の議員の選挙についてその当選の効力に関し訴訟の提起があつた場合はその当選の効力は全体としては確定しないものであり、従つて投票全部の効力も判決あるまで確定しないものというべきであるからである(行政裁判所大正八年三月一四日判決参照)被告はかく解するときは本件訴願人の参加しない本訴に於いては衡平を失すると主張するが、かかる裁決取消訴訟の当事者たる府県選挙管理委員会は訴願人又は特定当選人の利益を擁護すべき立場にあるものでないのみならず、訴願裁決を維持するためには裁決理由に現われなかつた事実についても訴訟においてこれを主張立証することを妨げないのであるから何等衡平を失することにはならない。してみると本件において前示(三)及び(四)の点は本件裁決理由においては何等問題とならず、原告の本件訴状にも掲げられなかつたところで、訴訟の進行中検証の結果現われた事実に基ずき原告はその主張を為すに至つたものであるけれども、その主張の不適法でないことは叙上の説示によつて明らかである。

以上説明するとおりとすれば、原告の有効得票は本件裁決の認めたとおり五二八票となり、一方候補者藤村新次郎の有効得票も亦同数の五二八票となるから、法第九五条第二項の規定により本件選挙の最下位当選人はくじで定めるべきであつて此の手続を経ずに原告を当選人と為し得ないものといわなければならない。従つて本件裁決において候補者藤村新次郎の得票を五二九票と認めた裁決理由は失当というべきであるが、原告の当選を無効と宣言したことは結局相当であることになるから、此の点において原告の本訴請求は棄却を免れないものである。

よつて訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 吉村正道 竹内貞次 吉井参也)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例